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 安部公房

 第1夜

「水中都市・デンドロカカリヤ」

 

(新潮文庫)  

 

  ここに書くことは全て僕の友人のマリモ君から聞いたことです。

 マリモ君は柄にも合わず、ひどい恥ずかしがり屋なので、自身のことはあまり書いてくれるな、と言います。彼のことはそのうち少しずつ判ってくると思いますので、今回は彼についての「紹介」めいたことは省くことにします。ただ一言、彼は「ろっく」と称して、電気を使った、それはそれは変な音楽を作るのに執心していること、それが僕には、ただのうるさい「デタラメ」にしか聞こえないこと、それでもマリモ君は自信たっぷりで、「デタラメ」作りに明け暮れていること...(これでほんの少しは彼の「風変わりな」ところが分かっていただけると思います)等を書き添えておきます。

 さて、ようやく本題に入ります。少し前に第何回か目の芥川賞の発表があり19歳、20歳の才媛が受賞したことが巷の話題になっていた頃、東京市内、牛込神楽坂でマリモ君に会ったときの話です...。

   「芥川賞といえば、芥川本人を別にすると、俺が真っ先に思い出すのは安部公房と池澤夏樹だな」

 マリモ君は話し始めました。以下、その時の会話を記憶を頼りに文章にしたものです。

   安部公房は「壁」という作品で芥川賞を受賞している。俺が初めて図書館で読んだ文庫版(新潮社)には石川淳の序文が載っている。佐藤春夫と並んで昭和の名文家と言われた人だよ。表題の「壁」とは何か...そんなことは知らない。女も知らなかった頃だ(笑)。それでも読み始めたら一息に、最後まで読んでしまった。昨今、疫病のように流行している、あまりにも赤裸々な恋愛小説なぞではないよ。こないだ某書店に入ってみたら安部公房の本がほとんどないのに驚いた。みんな忘れかけているのか...。

   安部公房の作品群について、一言で言えば発想力、空想力、また、それを支えるに足る十分な文章力の勝利だな。そして何よりも、とんでもない不条理な状況を笑わせてくれるユーモアのセンスを見過ごす訳には行かない。アンリ・ミショー(ベルギー出身の仏蘭西詩人)は「健康のために」詩を書くといった人だ。この姿勢は安部氏も同じはずで、また、俺の目指す「ろっく」の重要な要素である。逆境に置かれたときにいかにその状況を笑い飛ばすか。「駄洒落」なぞとは違う。誰かの慰めの言葉を待つよりも自分から状況を笑ってやる方が良いのに決まっている。真のユーモアというのはまさに「健康のため」、「生活のため」のものだよ。カフカも同類だと思う。

シュールレアリスム、冒険小説、SF、童話、寓話(考えてみるとこの言葉が一番、相応しいかもしれない...大人のための寓話だな。)etc。色々な要素を見事に調和させて一つにまとめている。なんでもない日常生活に、突然、とんでもない不条理な事件が起こる。これを不思議にも何の抵抗もなく受け容れて、話の筋を追っている俺がいる。これは安部氏の文章力によるものだ。本を読むのがこんなに面白いとは思わなかったよ。学生だった俺は、生きて行く上での色々なアイディアをもらった気がした。

しかし、これが安部公房の「最高傑作」かというとそうも言い切れない。他にも良いものが数え切れないほどある...それで次に読んだのが「水中都市・デンドロカカリヤ」である。これは短編集である。「壁」も短編集の体裁になっているけれど「壁」は個々の収録作品が「壁」というテーマで括られているのに対して、こちらはまさに「短編集」で、「壁」のように個々の作品間に直接の繋がりはない。もっと気軽に読むことができる。これも、俺は最後まで一息で読んでしまった。

タイトルにもなっている「水中都市」「デンドロカカリヤ」を始め、いくつかの作品には当時、安部氏が興味を持っていたらしい「共産主義」へのシンパシーが感じられるところもある。でも、それは作品の鑑賞には無縁のことである。会ったこともない奴に無用の義理立てをすることはない。作家は発表したものがどのように解釈されても文句を言ってはならない。

突然、自分が聞いたこともない変な植物になってしまったり、死んだはずの父親が押しかけてきて「出産」したり、ここでも「不条理な」状況を、安部氏一流のユーモアで笑わせてくれるし、シュールレアリスティックな世界で遊ばせてくれる。とにかく現実にはありえないような状況を文章の力によって現実と見紛うほどに構築し尽くすので、読んでいるこっちはまんまとのせられてしまう。こんな人は他に知らない。表題になっている2作以外にも傑作が多い。「鉄砲屋」はいわゆる「名人」のような人が噺したら「未来の落語」としても通用するだろう。初めて読む人にはこの作品や、前述の「壁」を勧めるよ。それで興味を持ったら、珠玉の長編「砂の女」を読んでみるのが良い。この作品は本当に20世紀の文学作品の中で10本の指に入るくらいの傑作だと思う。これは「壁」にも言えることだけど安部公房の「砂漠」に対する執着は精神分析の材料にもなると思う。実は俺も「砂漠」については奇妙に惹かれるところがある。フランスの作家、ル・クレジオの作品にやはり「砂漠」というのがあるけれど、これも大変に好きな作品だよ。

大体、そのようなことを話して、マリモ君は共同便所に行きました。その間、僕が考えていたのは次のようなことです。

一、「安部公房」なぞという文士は聞いたことも無い。

二、「シュールレアリスム」なぞという言葉も聞いたことが無い

マリモ君は聞いたこともないような言葉ばかり並べた韜晦で僕を馬鹿にしている。

四  四、勝手に喋るばかりで、肝心な話の筋を教えてくれていない。

        そこで僕は、磨り減った靴を早足で引き摺るように、共同便所から出て来た彼を問い詰めました。

 「安部公房だの、シュールなんとかだの、僕は聞いたことがない。からかっているのか。大体、君は話の筋も教えてくれない」

 「“話の筋”なんて大したものじゃないよ...でも、そんなことにこだわっている君にはむしろ教えないほうがよいだろうな。後になって“何も聞かなかったほうがもっと面白かったはずだ”なぞと責められても困るからね」

 マリモ君はそう答えてにやにや笑っています。こういうちょっと皮肉なところがマリモ君にはあるのです。だからきっといつまでたっても嫁さんも来ないのです。

 「それなら、僕はその”安部公房”とかいう奴の本を買ってみることにする。そんな奴の本を置いている奇特な店に案内し給え」

 「よろしい」

 そういってマリモ君が示したのは、どこに隠してあったのか、銀色に光る屋根付の五右衛門風呂のような装置でした。底のほうに車がついているらしく、大きさの割りに自由に動かせるようです。マリモ君が何かのまじないのように掌の中で何かを動かしていると、「五右衛門風呂」の蓋のようなものが開きました。

 「乗り込め。安部公房の本を買いに行こう」

 「安部公房の何を?」

 「だから『水中都市・デンドロカカリヤ』っていう短編集だよ。万が一、無かったら『R62号の発明・鉛の卵』にしよう...」。

  夕暮れ時です。近くで魚を焼く匂いがしています。本当ならこんな「五右衛門風呂」ではなくて「柳湯」で職人衆に紛れて体を洗っている時分です。でもこの場で選択の余地はないようです。僕は言われるままに「五右衛門風呂」に乗り込みました...(続く)。


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