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第3話

葉隠   作 泊瀬光延


御隠居!ごいんきょ〜!

な、なんでえ、ありゃ、また熊かえ。

ちょっと用事があって、九州は佐賀の鍋島様の御国に行ってめえりやしたがね、
あそこはとんでもねえところだったねえ!

ふふ、何がとんでもねえんだい?

あすこのせむれえはすぐ死にたがるって噂をあちこちで聞いたぜ!

ああ、あすこは『鍋島律儀』って言うぐれえ律儀なおさむれえが多いんだ。

な、なんででえ?

なんでも山本常朝ってお人が言ったことを残した『葉隠』っちゅう本があって、
それを代々大切にしてるってえ話さ。

は、はがくれえ!?お歯黒かい?

馬鹿だねえ、おまいは!山本翁は深山に引きこもって棲んでいたんで、聞き書き
した人がそう名付けたんだろう。

へえ〜。で、何が書かれてんで?

「武士道は死ぬことと見つけたり」っていうのが有名な台詞だ。

こん間(あいだ)は、げんきなさむれえは土地と家の為に死んだって言ってたよ
な。今度は何の為におっちぬんだい?

・・・もう忘れてやがる。そりゃ「元亀天正」の侍だろ。山本翁の言っているこ
とはその心意気だい。

土地じゃないのかい?

この『葉隠』の言っていることは「無私の奉公」よ。

へええ!何もいらねえってか!そいつのお家はどうなるんでえ?

この人は鍋島家第二代の光茂公に仕えた人で、このころには家禄制度ってものが
確立しているんだ。土地の代わりにお米や銭をもらうんでい。特に、お側で仕え
た連中はお家は安泰の所が多かったんだ。

それでも奉公しなきゃいけねえかい?俺なら遊んじゃうね!

土地を守った時代よりちょっと変わったなあ。この人は主(あるじ)の『恩義』
を第一と考えたんだな。

ふーん。殿様に可愛がって貰ったからかい。

鍋島家ちゅうのはもともと大名じゃねえ。戦国大名だった龍造寺家に跡継ぎが無
くなったんで豊臣の太閤様から国を建てることを赦されたんだ。

え!ぽっと出かえ?

龍造寺家の家臣だったのさ。そいでせっかく貰ったその国を守るために藩祖の直
茂公、初代藩主の勝茂公はえらい苦労をしなさったということだ。何でも直茂公
も勝茂公もあわや切腹という所まで追いつめられたこともあったとさ。

藩主って大変なんだなあ!

そうよ。そら、赤穂の福島(正則)様のようにぽんとつむじを曲げちまって閉門
された御大名もあるが、鍋島様はそらもう、真摯にお家を守りなさった。

それが『葉隠』かい。

『葉隠』はそのお殿様が家臣を大事になされた結果よ!

えっー?

代々鍋島家の藩主引き継ぎの口伝に「家来に出来者が出るように人を好きにな
れ」というものがあるそうじゃ。

「できもん」・・・おできかね?

馬鹿野郎!一国を共に経営出来る家来のことじゃい!誰も居なくなっても、殿様
を守るのは俺だっていうほどのけれえよ!

そ、そいつが殿様になりゃいいじゃねえか!

あほう!主は主なんだよ。もう下克上じゃねえんだ!山本翁はそういう育て方を
されて主と一体になって仕えたんだ。

・・・一体・・・へへ、そら例の「契り」かい?

わからねえな。確かにその可能性はあるだろうが、毎日、示現流を稽古してるよ
うな男は艶っぽいとは言えねえだろうよ。日に一万回以上、立木を相手に打ち込
みをするんだ。・・・それよりも死と生を分かち合う男同士の友情っていうのが
その実じゃあねえだろうか。

・・・ふうん、ちとつまらねえな。・・・でもどうしてその山本ってお人は『葉
隠』を書いたんでえ?

光茂公のお亡くなりになった頃はもう殉死が御法度になってたんだ。

あの、追い腹っていうやつかい?

下手に追い腹すりゃ公儀がお取りつぶしに掛かるほど禁止されてたんだ。だか
ら、山本翁は深山に入り遁世していたんだな。
その頃はもう主君が死んでも死ぬような奴はいねえ。次の主に仕えりゃいいって
御時勢さ。かわりもんだと言われたろうよ。
士風が廃れたってやつさ。
だがな、そんな中でも気骨のある若いさむれえはいたのさ。そいつが山本翁を訪
ねてその胸の内を吐き出させたものが『葉隠』よ。その冒頭には「この書は後で
焼き捨てらるるべき」とあるそうだ。

でもみんな読んでるんだろ。

その心を忘れないためにな。・・・だが、その真意はもう理解されねえかも知れ
ねえな。古いことばかり担ぎ出して、新しいことが生まれねえって、お蔵入りに
なったこともあるそうだ。
おさむれえも変わらなきゃなんねえだろうが、本当の武士ってのがいなくなっ
ちゃつまんねえな。籾手ばかりしているようなおさむれえも見たくはねえし。

・・・さむれえってのは、ほんとはげんきのさむれえが一番なんだよな・・・?

そうだ。元亀天正の頃のお侍は、大変な時代をげんき(、、、)に駆け抜けたん
じゃねえかな・・・

へへ。(鼻をすする)



前田慶次郎異聞−りんと小吉の物語

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泊瀬光延 

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書  名 前田慶次郎異聞  
副 書 名 りんと小吉の物語
出 版 社 発行所=文芸社
著   者 泊瀬光延 
税込価格 1,890円(本体1,800円+税)
発行年月 2004/04 判型 B6 ページ 456
ISBN 4835572548
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婆娑羅武士前田慶次郎の家人で、戦陣の鎌槍の遣い手の小吉は、主を襲った刺客りんに魅せられた。りんは奈良・興福寺の阿修羅像を想わせる容貌の、柳生新陰流の流れを汲む暗殺剣を操る美しい少年であった。小吉はりんに焦がれるあまり、主の慶次郎を裏切ろうと決心した…。二つの孤独な魂の行方は…。〔BOOKデータベースより〕
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第2話

元亀天正の頃   作 泊瀬光延

ご隠居ご隠居おっ!

なんでえ、熊かい。うるせいな。

討ち入りだっ!

ああ、吉良様の屋敷に討ち入った赤穂の浪士のことかい。ていへんな騒ぎじゃな。

もうていヘんどころじゃないや。雪が残ってるってのに号外屋が辻という辻に出
てやがる。
ご隠居,がんきたいしようってなんだい?

なんでい,そりや。

なんでもあの浪士達はその頃のさむれえの再来って言ってたぜ。

そりや、「元亀天正」のこった。

へっ!?

元号だよ。元亀年間(1570〜1573)と天正年間(1573〜1592)
のさむれえのことさ。今は元禄(1702)だろ。

どんなさむれえのことだ?そりや。

いくさに明け暮れていたころのおさむらいのことさ。

昔のげこくじよう,のかい?

おっ、むづかしい言葉を知ってるじゃねえか。

おれだって権現様(徳川家康)の若い項の話しぐれえ知ってるやい。あの赤穂浪
士がその頂のさむれえに似てるのかね?

おめえ,儂が死んでくれってったら死んでくれるかえ?

な、なんでえ、やぶからぼうに!や、やだよ。冗談じゃねえ。

じゃ、おめえが死んだあと女房小供の面倒みてやるって言ったら。

...それでも嫌さ。

おめえの子に儂の土地をいつまでも使わせるって言ったら?

それがげんきのさむれえと何の関係があるんでえ?

元亀天正の項のさむれえはそれが全てだったのさ。

し、死ぬことがかい!

それで主家が生き残れば自分の家も生き残る。手柄を立てれば所領も貰える。

嚊(かかあ)とガキと地面のために死んだのかい?!

土地と家には家来の家来、その使用人に百姓、小作人って数珠繋ぎに大勢の人間
がぶら下がってんのさ。その生活を守ってやるから百姓は年貢を納めるんだ。さ
むれえの家ってのはそのからくりの頂点にあったんだ。

で、でも赤穂浪士は土地や主(あるじ)なんて、もういねえじゃねえか!

それを奪われたんで狂ったのさ。死狂いよ。だが、こうして名が残る。誰も陰口
なんぞもう叩かねえだろ、こうなっちゃ!

ああ、叩けねえな。俺っちには出来ねえもん。

ほんとは、もと御城代の大石様は浅野家の御跡継ぎの大学様がお家を復興される
ことを嘆願していたというじゃあねえか。大学様が広島の親戚にお預けになった
ことでさむれえの本能が蘇ったんだろう。京都で小唄まで作って遊んでたお人だ
がね。

ふうん。そのげんきのさむれえに戻ったってことかい。

そのころの気風はもう今じゃ量り知れねえよ。土地を持っていた百姓も領主が変
わりゃ追っ払われるかも知れねえ。だから、そのころの百姓は武装していたん
だ。領主があぶねえって時は家来とその領民がこぞっていくさに行ったのさ。こ
の領主は信用できねえってなると裏切ったり反抗したりしたのさ。そりゃもう凄
げえ時代さ。町で、岡っ引きがいて、のほほんと暮らしている俺たちゃなんぞ、
幸せなもんさ。だがな、最近売り出している、あのもの書きがいるじゃねえか。

おう、あの泊瀬とかいう大それた名前の奴かい。

あいつはそのころの人間が一番人間らしく生きていたとのたまわっているらしい
ぜ。その証にそのころの物語を書いているらしい。なんでも前田慶次っていう婆
娑羅武士の話らしい。

へー、でもこの間、あいつをとっちめて衆道の話を早く書けっていったら、まず
書かなきゃなんねえもんがあるって逃げてったが、そうかそれを書いてやがった
のか!もう一回捕まえてとっちめてやるぜっ・・・

お、おう、熊よ!まて・・・あーいっちまいやがった。全く気が短けえ奴だ
ぜ。・・・元亀・天正のさむれえか。関ヶ原の生き残りのさむれえが、昔は良
かったみたいなことをよく書き残していたが、贅沢で人間が軟弱になった今のご
時世じゃ、もっと理解できめえ。赤穂の浪士達は本来のさむれえのお仕事をやっ
たってことかね・・・今は誰もやる奴がいねえ仕事を。


第1話


敵討ち鍵屋の辻   泊瀬光延作


熊さんや、なんだい、聞きてえことってえのは?

ご隠居、実はあの斬り合いのことよ。

ええ?斬り合いかい?さむれえの話を聞きたいってえのかい?どの斬り合いのことさ。

あの荒木又右衛門の三十六人斬りよ。鍵屋の辻でのさ。

ほう、それで何を知りてえんでえ?

そのきっかけよ。仇討ちと聞いてるが、誰の仇討ちなんだい?

鍵屋の辻ってえのは、備前、岡山藩士の渡辺数馬が姉婿の荒木又右衛門らの助太刀を得て、出奔した河合又五郎等を寛永十一年に斬った、っていうのがその場所じゃ。
河合は数馬の弟源太夫を私情で殺したっていうのがその発端じゃ。

ご隠居、そこさ。

なに?

その私情ってのはなんだい?

ありゃ、お前知らんのか?

その源太夫ってのはけんかっ早かったのかい?

その反対だい。

えっ?じゃ何で殺されたんだい?

お前も常識を知らねえな。それでも江戸っ子かい。遊べよ、もっと。

えー?

源太夫はその時の岡山藩主、池田忠雄(ただかつ)の寵童だったのさ。河合はそれに横恋慕さ。

す、すると、あの武家の華っちゅう・・・?

そうよ、衆道よ。

でもねえ、ご隠居。いくら美童でもそんな女みたいにかわいがりたがるかね?陰間茶屋に俺様だって行ったことはあるが、いざその段になると、とってもその気にゃなれなかったね。そりゃ、ホントの好きもんだぜ。

武家の衆道はそれだけじゃないんだよ。

な、なにが違うんでい?

小姓になる男(を)のこはそりゃ、頭脳明晰、見苦しいところはないよう常に気を使ってるんだ。見られてうつくしゅう、そしてあるじには命を捨てて尽くす。契りをかわすときは「兄弟(きょうでえ)」になるっていうのさ。やくざと同じ言葉よ。どちらも命を掛けた契りよ。

へー、そんな弟(をとうと)が欲しいや。俺も。

河合は源太夫に冷たくあしらわれたのだろうな。それで河合は逆上したか、己のものにするために斬った。

ふーん、なにやらわけありだな。

仇討ちになるぐらいだから、尋常な勝負じゃねえな。それに殿様の威光も掛かってるが、河合を匿った旗本の意地ってのもあったんだ。
ここらへんは今西鶴と豪語している泊瀬とかいう物書きに書かせると面白いんじゃねえの?

俺ゃ、けっこう好きだね。そういうの。

日本人はこの手の話には寛大だって言われてるんじゃ。芸能人にもけっこういるだろ?

よし、これからその泊瀬っていう三文文士をとっちめて早く書かしてやるぜえ!

お、おう、待ちな!熊!・・・しょうがねえ奴だな、いっちまいやがった。まあ、潮五郎の「戦国風流武士」も司馬遼の「前髪の惣三郎」(「新撰組血風禄」に集録。映画「御法度」の原作の一編)もここらへんの描き方はいまいちだったからなあ。
西鶴はそこらへんはよく心得て今ではもうわからねえ話を「武道伝来記」に仕組んだんだが・・その泊瀬っていう物書きはどうかねえ・・・


前田慶次郎異聞−りんと小吉の物語

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泊瀬光延 

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書  名 前田慶次郎異聞  
副 書 名 りんと小吉の物語
出 版 社 発行所=文芸社
著   者 泊瀬光延 
税込価格 1,890円(本体1,800円+税)
発行年月 2004/04 判型 B6 ページ 456
ISBN 4835572548
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婆娑羅武士前田慶次郎の家人で、戦陣の鎌槍の遣い手の小吉は、主を襲った刺客りんに魅せられた。りんは奈良・興福寺の阿修羅像を想わせる容貌の、柳生新陰流の流れを汲む暗殺剣を操る美しい少年であった。小吉はりんに焦がれるあまり、主の慶次郎を裏切ろうと決心した…。二つの孤独な魂の行方は…。〔BOOKデータベースより〕
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2004年4月2日毎日新聞・朝刊「広告欄」に掲載されました。
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